エホバの証人からの脱会

聖書には統治体は存在しない:パウロの四回にわたるエルサレムへの旅行

 聖書を読むとパウロは四回しかエルサレムに行っていません。ダマスカスでの回心の後(使徒行伝9章)、彼はまずアラビアに赴き(ガラテア1:17)、ダマスカスに戻りました。
  エルサレムに行く時には回心から三年が経過していました
  エルサレムにはケファと共に15日間滞在しましたが、ヤコブ(主の兄弟)以外、使徒の姿は見てません(ガラテア1:17-19)。

また,エルサレムに上って,わたしより先に使徒となっていた人たちのところへ行くこともせず+,ただアラビアに行き,それから再びダマスカスに戻って来ました+。
18 それから三年後に,わたしはケファ+を訪ねる*ためエルサレムに上り+,そのもとに十五日間滞在しました。19 しかしわたしは使徒のうちほかのだれにも会わず,ただ主の兄弟+ヤコブ+に[会った]だけです。(ガラテア1:17-19新世界訳)

 明らかにパウロは独自に行動していました。その活動について誰にも権威を与えてくれるようにとは頼んでません。
パウロの本拠地はシリアのアンティオキアでした。第一次旅行と第二次旅行はアンティオキアで終わってます。第三次旅行はアンティオキアから始まり、エルサレで終わってます。

パウロのエルサレムへの1回目の旅行:ダマスカスでの回心からエルサレムに行くまでには三年経過してます(使徒9:25,26)。新世界訳の相互参照ではガラテア1:18

パウロのエルサレムへの2回目の旅行:パウロとバルナバは救援の品を携えてアンティオキアからエルサレに行きました(使徒11:28:30)。アンティオキアの弟子たちは(できるところに応じて)自分たちの意志で行動しました。何をすべきかを教えている中央集権の組織は存在しません。

パウロのエルサレムへの3回目の旅行:その14年後にパウロはエルサレムへ旅行しました。エルサレムから呼び出されたわけではなく、「啓示があった」からです(ガラテア2:1-2)。

それから十四年後,わたしはバルナバ+と一緒に,またテトスも伴って,再びエルサレムに上りました+。2 しかしわたしは啓示があったので上って行ったのです+。そして,自分が諸国民の間で宣べ伝えている*良いたよりを彼らの前に示しました+(ガラテア2:1-2新世界訳)。

パウロの最後のエルサレムへの4回目の旅行:ローマ15:25-28、コリント第一16:1-4、使徒21:15-18に書かれているとおり、パウロの第3次旅行の後半で行われました。パウロたちは救援の品を集め、エルサレムの会衆の貧しい兄弟姉妹にそれを運びました。
 明らかに使徒パウロはエルサレムからは独立して行動しました。エルサレムにもどこにも中央集権的な組織は存在していません。


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