エホバの証人からの脱会
聖書には統治体は存在しない:使徒9章から15章の徹底的な研究
一緒に読んで概略を把握します
家族全員と年代順に聖書を読む作業が始められていることが好ましいのです。
エホバの証人の家族が次の三つの過程に興味を持てるようにしなさい
1.まず段落ごとに交代しながらいっぺんに全部の章を読みましょう。2.その後、各自が自分なりの概略をまとめましょう。自分なりの概略を読めますし、最終的に最も良い概略を作り上げられます。
3.最後にもう一度、元に戻って最も重要な聖句と大事な箇所を読みます。
中央集権(統治体)の概念を突き崩すための効果的な方法は、あなたの愛する人と一緒に使徒行伝を読むことです。疑念を持たれないために1章から終いまで使徒行伝の全部を読む必要があります。
理想的には、家族の人がマタイの福音書から読み始めるように聖書を時系列で読むやり法を始めるべきです。それができないならば、使徒行伝1章から「概略を把握する」過程を始めるほうがいいでしょう(直接、使徒9章から始めると何かあるなと疑われます)。
ほかのやり方
エホバの証人の家族とは旧知の仲ですから家族のためにどうすれば最も良いかは分かってます。下記の方法からほかのやり方を見つけ、自分自身でもう少し考えてみなさい。
・使徒行伝9章から15章から聖句を選び、少しずつ、段階的にそれを材料として示してみなさい。
・「この箇所を読んでみるととても興味を覚える箇所がある」。と言う(家族の意見を求めません)。
・「この箇所を読んで分かるかな」(ここで家族の意見を求めます)。
・その聖句にマーカーで印を付けます。その箇所を開いたままにして見えるようにします。
・アンティオキアの会衆の働きを研究しなさい(パウロの根拠地はエルサレムではなく、アンティオキアでした)。それを愛する人と話し合いなさい。
・「トルコのAntakya(アンタキヤ)に行ってみたいな」と言ってみる(アンタキヤはかつてのパウロの根拠地)。
忘れてはなりません:家族を議論で打ち負かすのではなく、家族を味方にすることが大事です。
議論のための質問の例と「使徒」の概略
あなたが配偶者や家族と一緒に使徒行伝を読むときに使える手順(ツール)を下記に書きますのでその中から適宜、選んでください。神はいかなる形態の中央集権的な組織(統治体)を用いていないと納得してもらえるといいのですが。
・相互参照付き聖書(例えば新世界訳聖書)
・パウロの宣教旅行の地図(聖書の付録やインターネットから)。それぞれの地点と距離が目で見て分かります。念のため、当時の人たちは限られた方法でしか旅行ができなかった事実をエホバの証人の家族に言っておきなさい。当時はインターネットも、プリンターも、電話もありませんでした。そう言わないと当時の出来事がよく分かりません。
使徒9章から15章 アンティオキアなのかエルサレムなのか
使徒9章から始めれば「統治体」の権威を無力化できます。議論の時に有用な概観や疑問はこの9章からしか始まらないのです。
忘れてはなりません:まずあなたは必ずこの箇所を明確に理解しなければなりません。念には念を入れて、望み通りに議論をリードできる助けになる質問を用意します。
使徒9章
概略
使徒9:1-2:パウロは大祭司のところに手紙を書き、キリスト・イエスの名を求め始めたユダヤ人の信徒を捕らえるための権威を与えるように頼み、それをダマスカスの大会堂に送るように頼んでます。サウル(パウロ)は行動するに当たり、権威が必要だと分かっていました。興味深いことに、彼は宣教するときにも、手紙を送るときも、誰にも、一度なりとも何らかの権威付けを依頼していません。
使徒9:3-7:パウロはダマスカスの付近でイエス・キリストによって目が見えなくなりました。
使徒9:10-17:ダマスカスの弟子、アナニア(使徒でもなく、年長者でもありません)はサウルの上に手を置きました。
使徒9:19-25:サウルはダマスカスで伝道を始めました(そうする権限を誰にも頼んでません)。使徒9:1,2と比較。
使徒9:26-29:回心から3年後、サウロはエルサレムではケファ(ペテロ)とヤコブとしか会っていませんでした(ガラテア1:17-19を見よ)。
使徒9:31:ユダヤ、ガラテア、サマリアの会衆は平安を保っていました。
使徒9:32-42:パウロはアイネアの病気を治し、タビタの体を起こしました。
使徒9章:議論するときの質問例
問:パウロ(サウル)が手紙を書いて頼んだ相手はダマスカスの誰ですか。その理由は何ですか(使徒9:1-2)
しかしサウロは,主の弟子たちに対する+脅しと殺害の息をなおもはずませながら+大祭司のもとに行き,2 ダマスカスの諸会堂への手紙を求めた。だれでもこの道*に属する者+を見つけたら,男でも女でも縛ってエルサレムに連れて来るためであった(使徒9:1-2新世界訳)
しかしアナニアは答えた,「主よ,わたしは多くの人からこの男について聞いております。エルサレムにいるあなたの聖なる者たち*に対し,害となる事をどれほど多く行なったかということを。14 そしてここでは,あなたのみ名を呼び求める者+を皆なわめにかけようとして,祭司長たちから権限を受けているのです」(使徒9:13-14新世界訳)
サウル(パウロ)は教育を受けたファリサイ人であり、何らかの行動をするための権限の必要性を知っていました。パウロはダマスカスの大司祭に宛てて、手紙を書きました。そうすればイエス・キリストの名を呼び求めている人たちを捕らえられるのです(使徒9:21)。明らかにその人たちはモーセの律法(十戒)に逆らってイエスの名を呼び始めたイエスの崇拝者でした(出エジプト20:3ほかのいかなるものをも神としてはならない)。
忘れてはなりません:サウル(パウロ)は、もし許可を与えてくれる上位の権威が存在するならその権威に対してその許可を頼むことを知っていました(実際そのようにしました。使徒9:1-2)。パウロはどこで、どのように宣教を遂行したらいいか、一度も、誰にも尋ねていません(エルサレムの誰にも)。なぜでしょうか。明らかに、その許可を受けようにも、エルサレムにも、ほかの土地にもそのような権威者はいなかったのです。
問:パウロはどこで回心しましたか
答:ダマスカスの途中でした。
問:パウロの上に手を置いたのは誰ですか。
答:アナニアです。ダマスカスの人でした(エルサレムの使徒でもなく、年長者でもありません)。アナニアがパウロの上に手を置きました。
問:パウロはエルサレムこそが神が定めた宣教活動の中心地だと思ってましたか。
答:パウロは、エルサレムが宣教のための神が定めた、国際的な行政の中心地であるとは金輪際、思ってもいませんでした。
問:パウロは回心の後、「異邦人の使徒」としてエルサレムに居る兄弟たちと連絡を取りましたか(使徒9:15、ローマ11:13)
答:いいえ、パウロは回心の後、「異邦人の使徒」となるためにエルサレム兄弟たちと連絡ることはありまぜんでした(使徒9:15、ローマ11:13)。
比較しましょう
:使徒9:2、13-149によればパウロは大祭司に「手紙」を出して頼んでいます。
しかし主は彼に言われた,「行きなさい。わたしにとってこの者は,わたしの名を諸国民に,また王たちやイスラエルの子らに携えて行くための選びの器だからです(使徒9:15新世界訳)。
そこで諸国の人たちに言います。わたしは実際には諸国民への使徒なのですから,自分のこの奉仕の務めを栄光あるものとします(ローマ11:13新世界訳)。
問:イエス・キリストは回心したサウル(パウロ)をどこに送り出しましたか
答:キリストはサウル(パウロ)には一言もエルサレムに行くようにとは言ってません。パウロがやってきたエルサレムに戻るのではなく、「諸国民や王たちに」明かすために送り出しました(使徒9:15)。
問:キリストは誰を介してパウロに指図をしましたか。
答:ダマスカスに居たアナニアを介してパウロに指図をしました。明らかにアナニアはエルサレムを根拠にする中央集権的な組織の成員ではありませんし、「統治体」の成員でもありませんでした(使徒9:1-17、22:5-16)。
問:パウロがイスラエルに最初の旅行をしたとき、回心からどれほどの期間が経過してましたか
答:新世界訳も、その他の聖書も使徒9:25と26の間は連続しています。使徒9:25と26の出来事の間にはどの程度の日数が経過していたんでしょうか。
エルサレムに到着すると(ここの新世界訳の相互参照はガラテア1:18),彼は弟子たちと一緒になろうとして努力した。しかし[弟子]たちはみな彼を恐れていた。彼が弟子であることを信じなかったからである。27 そこでバルナバが助けに来て+,彼を使徒たちのところに連れて行き,彼が道の途中でどのように主を見たか+,そして[主]が彼に語りかけたこと+,またダマスカスで+イエスの名においてどれほど大胆に語ったかを詳しく話した。28 こうして[サウロ]はずっと彼らと共におり,エルサレム内を行き来し*て,主の名において大胆に語った+(使徒9:26-28新世界訳)。
注)新世界訳は「エルサレムに到着すると」と書いて使徒9:25と26に書かれた出来事の間には時間的な経過がなかったことを明らかにしています。ほかの聖書に書かれている使徒9:26と比較しなさい。
9:26サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間にはいろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた(新改訳)。
ガラテア1:17-19新世界訳:また,エルサレムに上って,わたしより先に使徒となっていた人たちのところへ行くこともせず,ただアラビアに行き,それから再びダマスカスに戻って来ました。18 それから三年後に,わたしはケファ+を訪ねる*ためエルサレムに上り,そのもとに十五日間滞在しました。19 しかしわたしは使徒のうちほかのだれにも会わず,ただ主の兄弟ヤコブに[会った]だけです。
ガラテア1:17-19を読むと三年経つまでパウロはエルサレムに旅行していないことが分かります。そのとき、ケファと主の兄弟ヤコブとしか会っていないと特に記しています。15日間、ほかの使徒とは会ってません。ですからその人たちは「統治体」が司会する「本部での会議」に出ていません。
ヒント:次のように示唆できます。新世界訳では使徒9:26には相互参照聖句としてガラテア1:18が書かれています。ですから使徒9:25と26の聖句を読む間にはガラテアへの手紙の全部を読むと良いでしょう。後続の使徒13章の項を見なさい。ガラテア2:1、2はとても役に立ちます。第一次宣教旅行の間にパウロはガラテアに宛てて手紙を書いています。
忘れてはいけません:パウロは誰にも(エルサレムの誰かにも)その権限を与えるように頼まないでも、3年間、宣教を遂行しました。
使徒10章
概略
10:1-8:::コルネリオの幻
10:9-16:::ペテロの幻。浄められた動物
10:17-33:::ペテロはコルネリオを訪ねます
10:34:::ペテロが異邦人に良いたよりを宣明します
10:34-35:::神は不公平ではない
10:44-48:::異邦人が聖霊を受けてバプテスマを受けます
使徒10章:議論のための質問
使徒10章には「統治体」のトピックらしい箇所は登場しません。通読するだけで、エホバの証人の家族と一緒に話し合い、その概略を把握するだけで良いでしょう。
使徒11章
概略
11:19-30:::シリアのアンティオキアの会衆
11:22-26:::バルナバの宣教
11:26:::弟子たちは初めてアンティオキアでクリスチャンと呼ばれました(エルサレケでではありません)
11:27-30:::弟子たちは、それぞれの力に応じてユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めました。パウロとバルナバの手を経て年長者たちに送りました。
使徒11章:議論のための質問
問:ペテロが「割礼を受けていない人の家に入って一緒に食事をした」ことを説明しなければならなかったのは、何らかの中央集権的な組織があったためですか。
答:そのような意味ではありません。
さて,ユダヤにいる使徒と兄弟たちは,諸国の人々+も神の言葉を受け入れたことを聞いた。2 それで,ペテロがエルサレムに上って来ると,割礼を[支持する人々+]は彼に対して言い争いを始め,3 彼が割礼を受けていない者たちの家に入って一緒に食事をしたと言った。4 そこでペテロは[答え]始め,彼らに委細を説明してこう言った(使徒11:1-4新世界訳)。
文脈上、ペテロは使徒と兄弟たちがおそらくは生存していた間に、主に「割礼を支持する人たち」に対して説明していました。
問:使徒11:22は何らかのエルサレムの中央集権的な組織を指しているのでしょうか(疑問がなければこの質問は省略してもよろしい)。
答:そうではありません。
彼らに関する話(注1)はエルサレムにある会衆(注2)の耳に達し,彼ら(注3)はバルナバ+をアンティオキアにまで遣わした(使徒11:22新世界訳)。
@.「この知らせがエルサレムにある教会に聞こえたので」(新改訳)。これはエルサレムの誰かから依頼があったから知らされたわけではありません。何らかの中央集権的な組織に届けられたものでは到底、ありません。
A.この説明は「エルサレムにある会衆」の耳に達したものであり、その会衆は中央集権的な組織ではありません。
B.この会衆は中央集権的な組織ではありません。この会衆はそれからバルナバをアンティオキアに送り出しました。
注)新世界訳だけに出現する「知らせ」の語は上位の権力者から何かを依頼された意味ではありません。ギリシア語"Logos"の訳語は、語、発言、報告、みことば、事物などです。王国行間逐語訳聖書では"word"です。
問:どこで初めてクリスチャンと呼ばれたのでしょうか。
そして,見つけてから,彼をアンティオキアに連れて来た。こうして,彼らはまる一年のあいだ人々と共に会衆に集まり,相当数の人々を教えることになった。そして,弟子たちが神慮によってクリスチャン*+と呼ばれた*のは,アンティオキアが最初であった(使徒11:26新世界訳)。
答:エルサレムではなく、アンティオキアでした。
問:使徒11:29^30はエルサレムにあった、何らかの中央集権的な組織を指しているのでしょうか(疑問がなければこの質問は省略してもよろしい)。
答:そうではありません。
それで弟子たちは,各々がそのできるところに応じて+,ユダヤに住む兄弟たちに救援+を送ることに決めた。30 そして彼らはこれを実行し,バルナバとサウロの手によってそれを年長者たち*に送り届けた+(使徒11:29-30新世界訳)。
@弟子たちは「各々がそのできるところに応じて」行動しました。何らかのは中央集権的な組織が何をすべきかを伝えていません。
A彼らは救援物資をエルサレムの「年長者たち」に送りました。どこかの中央集権的な組織に送ってはいません。
使徒12章
概略
12:1-5:::ヤコブが殺され、ペテロは牢に閉じこめられます
12:6-19:::ペテロが奇跡的に救い出されます
12:20-25:::主の使いがヘロデを打ちました
使徒12章:議論のための質問
使徒12章には「統治体」のトピックらしい箇所は登場しません。通読するだけで、エホバの証人の家族と一緒に話し合い、その概略を把握するだけで良いでしょう。
使徒13章
概略
13:1-3:::パウロの第一次宣教旅行:パウロとバルナバはアンティオキアから宣教に送り出されました。エルサレムからではありません。二人はアンティオキアに帰ります
13:4-12:::キプロスでの宣教
13:13-41:::ビシデアデのアンティオキアでのパウロの説教
13:42-52:::諸国に向かえとの預言的な命令
使徒13章:議論のための質問
問:パウロはどこを根拠地にしましたか。どこの会衆から送り出されれしたか。
答:さて,アンティオキアには,そこの会衆に預言者+や教え手たちがいた。バルナバ,それにニゲルと呼ばれるシメオン,キレネのルキオ+,地域支配者*ヘロデと一緒に教育を受けたマナエン,そしてサウロであった。2 彼らがエホバ*に対する公の奉仕をし+,また断食をしていると,聖霊がこう言った。「すべての人のうちバルナバとサウロ+をわたしのため,わたしが彼らを召して[行なわせる]業のために取り分けなさい」。3 そこで彼らは断食をして祈り,手をその上に置いて+から[二人]を行かせた(使徒13:1-3新世界訳)。
パウロはアンティオキアを根拠地にしていました。エルサレムではありません。パウロはアンティオキアかの会衆から送り出されて宣教旅行をしました。エルサレムにから送り出されてはいません。エルサレムに行く理由があるとか、エルサレムに行く必要に迫られるまで、長い期間を宣教に費やしました。パウロはガラテア2:1-2で明記しています。
それから十四年後,わたしはバルナバ+と一緒に,またテトスも伴って,再びエルサレムに上りました+。2 しかしわたしは啓示があったので上って行ったのです(ガラテア2:1-2新世界訳)
パウロは「14年後」に「啓示があった」ので再びエルサレムに上ったと書いています。
@.パウロはエルサレムを中央集権的な組織の中心地であったとは思ってません。パウロはエルサレムの会衆を訪ね、使徒を含む兄弟たちに会うためにエルサレムに上りました。どこかの中央集権的な権力者に会うためではありません。
A.クリスチャンは、エルサレムを習慣上もクリスチャン会衆のための中央集権的な中心地だとは考えてません。
B.パウロはエルサレムに居た者から送り出されたわけではありません。パウロがエルサレムへ旅行するようにとの神の啓示があったからでした。
使徒14章
概略
14:1-7:::パウロとバルナバはアンティオキアで共に会堂に入って話をしました
14:8-18:::へステラで神と間違えられました
14:19-20:::パウロは石打ちに遭っても生き延びました
14:21-23:::会衆を強めました
14:24-28:::第一次宣教旅行の終了:パウロとバルナバはアンティオキアに戻りました。エルサレムに戻ったわけではありません。
使徒14章:議論のための質問
問:パウロとバルナバが第一次宣教旅行を終えたときどこに戻りましたか(使徒14:24-28)。
答:二人はアンティオキアに戻りました。エルサレムではありません。
ペルガでみ言葉*を語った後,アタリアに下った。26 そして,そこから出帆してアンティオキア+に向かった。彼らはその地で,[今や]十分に
成し遂げた業のため,神の過分のご親切に託されたのである+。27 そこに到着して会衆を集めると,彼らは次いで,神が自分たちを通して行なわれた多くの事柄,また,[神]が信仰への*戸口を諸国民に開かれたこと+を話しはじめた+(使徒14:25-27新世界訳)
問:パウロとバルナバは誰に対して「神が自分たちを通して行なわれた多くの事柄,また,[神]が信仰への*戸口を諸国民に開かれた」と語ったのですか。
答:パウロはバルナバはアンティオキアの会衆にそれを話しました。エルサレムの使徒や年長者に対してではありません。
使徒15章
ものみの塔は中央集権的な組織(統治体)を証明するためにこの章を用います。ですから慎重にこの章を読む必要があります。
概略
使徒15:1:ユダヤから来た者はアンティオキアの信徒に対し、モーゼの律法に従って割礼を受けるべきだと主張しました。
使徒15:2-3:アンティオキアの会衆は使徒と長老たちと話し合うためにパウロとバルナバたちをエルサレムに送ることを決めました。
使徒15:4-5:彼らは会衆や使徒、長老たちから親切に迎えられました。使徒15:6-21:使徒と長老たちは一堂に会しました。おそらくは彼らは多数の人数だったでしょう。一握りの「級」ではありません(15:6)。
使徒15:22:「そこで,使徒や年長者たち*,また全会衆は,自分たちの中から選んだ人々を,パウロおよびバルナバと共にアンティオキアに遣わすことがよいと考えた」。これは「全会衆」(男女、兄弟姉妹)がこの決定に同意したことを表すために解決策を作った意味です
使徒15:22-29:使徒と長老たちは手紙を書きました。おそらくは多数の人たちでしょう。
使徒15:23:手紙はアンティオキア、シリア、キリキアの異邦人の信徒だけに送られました。パウロが以前に伝道した会衆すべてに宛てたものではありません。
使徒15:28-29:手紙には四つの要求だけが書かれていました。避ける事柄は偶像と血と絞め殺されたものと不道徳でした。それがすべてでした。
使徒15:30-34:会衆は励ましに歓びました
使徒15:34:パウロとバルナバはアンティオキアに滞在しました
使徒15:36-41:第二次宣教旅行:パウロは宣教をアンティオキアから再開します。エルサレムからではありません。今回はバルナバは同行しません。シラスを選びました。シラスを連れて行っていいか誰にも聞いていません。誰にも相談しないで「バルナバはマルコを連れてキプロスに向けて出帆」しました。第二次宣教旅行が終わると、パウロはエルサレムではなく、アンティオキアに戻りました。
使徒行伝15章の背景
使徒行伝15章にはなぜエルサレムが特定の問題を考える上で当然問題を処理すべき土地であったことを示しています。そしてエルサレムがある種の国際的な行政の中心地であったと示している箇所は一つもありません。パウロとバルナバはアンティオケアで奉仕していましたがエルサレムは面倒な問題を持ち込む問題児でした。トラブルメーカーはエルサレムから下ってきて、異邦人のクリスチャンは割礼を受け、律法に従うべきだと無理強いし、問題を引き起こすまではアンティオケアは平穏さを保っていました。
クリスチャン会衆発祥の地はエルサレムでした。そこでクリスチャンを自称する人たちは律法遵守に最もこだわっていました。特別の会議が行れていた後もこの傾向は長い間、続いていました(ガラテア2:11-14、使徒行伝21:15,18-21と比較)。アンティオケアでトラブルを引き起こしたのはエルサレムを拠点にしていた人たちでした。エルサレムには使徒が居ませんでしたが、このトラブルの論争の場であり、論争に決着を付ける場所でした。エルサレムの重要性を考慮する上では、神から選ばれた使徒の存在は明らかに考慮すべき価値がありました。使徒が亡くなくなれば、またその権威と賜物を相続する者がいなくなれば当然、この状況は解消されます。だから1世紀の中頃の状況は継続していませんし、現代には容易には当てはまりません。
使徒が生きていてエルサレムに居たときでさえ、使徒パウロは明らかにエルサレムの使徒たちの集団を統治体とは見なしていませんでした(国際的な行政の中心地、組織の本部という意味で)。
使徒15章:話し合いのための質問
問:アンティオケアの信者に対し、モーゼの律法に従い割礼を受けるように無理強いしたのは誰だろうか。
答:ユダヤから下って来た人たちです。
問:会議がアンティオケアではなく、エルサレムで開かれたのはどうしてだろう。
答:会議はエルサレムで開かれました。ユダヤから来た人たちは割礼を望んだからです。ユダヤから来た人たちが論争を始めました。論争の震源地となった土地で会議が開かれました(使徒15:2)。
問:アンティオケアから来たパウロやバルナバらを迎えたのは誰でしたか。
答:彼らは会衆と使徒と年長者たち(おそらくは多人数)が親切に向かえました(男たちの小さな集団ではなく)(使徒15:4,5)。
問:問題をどんな人たちが討議するために集まったのでしょうか。
答:使徒と年長者たち(おそらくは多人数)が一緒に会議に出ました(男たちの小さな集団ではなく)(使徒行伝15:6)。
問:この会合で発言したのは誰ですか。
答:四人の名が書かれています。使徒ペテロ(使徒行伝15:7)とアンティオケアから送り出されたバルナバとパウロとイエスの兄弟ヤコブです(使徒行伝15:13)。エルサレムに居たのはペテロとヤコブです。
問:出席者から選ばれた人々をエルサレムからアンティオケアに送ることを決めたのは誰ですか。
答:使徒と年長者と全会衆が一緒に決めました(使徒15:22)。男たちの小さな集団ではなく、「全会衆と一緒に」多くの人々が決めました。それは「全会衆」(男女、兄弟姉妹)が決定に同意したことを示すために解決策を練り上げました。
問:手紙を書いたのは誰ですか。
答:男たちの小さな集団ではなく、使徒と年長者でした。おそらく多人数でした(使徒15:23)。
問:手紙には何が書かれていましたか。
答:四つの要件が強調されていました。偶像に供えられた物、血、絞め殺された物、不品行です(使徒15:28-29)。
注:頻繁に多くの要求を書いて全部のエホバの証人の会衆に送りつけるエホバの証人の「統治体」と比較しなさい。
問:手紙は誰に対して書かれましたか。
答:アンティオケア、シリア、キリキアの異邦人信徒に対してだけ書かれました(使徒15:23)。前にパウロとバルナバが宣教を始めた土地の会衆すべてに宛てられたわけではありません。ルダ(使徒9:32)フェニキア、キプロス(使徒11:19)、カイザリア(使徒10:24)、第一次宣教旅行で訪れたダマスコ、サラミス、パフォスなどには送られてません。ですから「ユダヤから来た人たち」から割礼を無理強いされた土地の人たちにだけ書かれたことが分かります。
問:聖書的に考えて何らかの教義を確証するためには何人の証人が必要でしょうか。
答:ものみの塔は「二人の証人」のルールを強調します。
コリント第二13:1:一切の事は二人か三人の証人の口によって確証されねばならない(新世界訳)。
問:クリスチャン・ギリシャ語聖書にはこのほかに同様の会議が書かれている箇所はありますか。
答:ほかにはありません(「二人の証人」は無い)。
問:クリスチャン・ギリシャ語聖書にはほかにエルサレムの使徒と年長者によって決められるような大事な決定が書かれていますか。
答:ほかに同様の会議は書かれていません(「二人の証人」は無い)。
問:クリスチャン・ギリシャ語聖書にはほかにエルサレムの使徒と年長者によって書かれた大事な手紙が書かれていますか。
答:ほかに同様の手紙は書かれていません(「二人の証人」は無い)。
一方、パウロは旅行を開始した会衆宛てに手紙を書いたことを知っています。
問:パウロが旅行中に訪れた会衆に宛てて手紙を書いたときに前もってその手紙に権威付けをしてくれるように誰かに頼みましたか。
答:パウロは手紙に権威付けをするように頼んだことは一切、ありません。
問:使徒行伝15:23に書かれている手紙を届けたときにパウロとバルナバはどこに滞在してましたか。
答:パウロとバルナバはアンティオケアに滞在してました。エルサレムには戻ってません。ですから、パウロとバルナバはエルサレムをなんらかの権威を有していた中心地として見ていませんでした。
問:パウロはどこから第二次宣教旅行を始めましたか。
答:第一次と同じくアンティオケアから開始しました(使徒15:35-47)。エルサレムから始めたわけではありません。ここでもエルサレムを権威を有する中心地とは見ていません。「パウロはシラスを選び出し」ましたが、シラスを連れて行ってもいいかとは誰にも尋ねてません。「バルナバはマルコを連れてキプロスに向けて出帆」しました。誰かに権威付けをしてもらってそうしたわけではありません。パウロは第二次宣教旅行を終えるとアンティオケアに戻りました。(使徒18:22)。エルサレムには戻ってません。
「使徒」:質問と意見
あなたの配偶者や家族がもう少し質問したり、疑問を感じていたら念のために次のような意見を述べるほうがいいでしょう。彼らの質問に備えておきましょう。
権威者はエルサレムのどこかにいますか
問:ともかく、エルサレムは宗教の中心地としての権威を有していなかったのだろうか。
答:クリスチャン会衆発祥の地はエルサレムです。これは忘れてはいけません。
年長者たちが属していた会衆がありました。
使徒らがまだ生きていて彼らがエルサレムに居たときでさえ(迫害のため短期間しかいなかったらしい)使徒パウロはこれらの使徒を宗教の中心となる権威者だとは認めてません。
ガラテア1:17-19を読むと回心から三年しか経たないのに、パウロはエルサレムに旅行したことが分かります。その際、パウロはペテロと主の兄弟ヤコブに会ったと述べています。そこには15日間いましたが、ほかの使徒には会ってません。「統治体」が司会する「本部の会議」には出ていません。
明らかに宗教の中心となる権威者はいません。確かにパウロとバルナバは互いに独自に行動していました。
そこで怒りが激しくぶつかって,彼らは互いに別れることになった。そして,バルナバ+はマルコを連れてキプロス+に向けて出帆した。40 パウロはシラス+を選び出し,兄弟たちによりエホバの*過分のご親切に託されて出かけて行った+。41 彼のほうはシリアとキリキアを通って諸会衆を強めた+(使徒15:39-41新世界訳)。
バルナバがマルコを連れてキプロスに向けて出帆する権限を与えてくれるようにとは誰にも頼んでません。
パウロがシラスを選び、シリアとキリキアに行くときに権限を与えてくれるよう誰かに頼んだわけではありません。
使徒たちは一緒にいたのでは
問:「使徒たちが集まった」の箇所はどうなのでしょうか。
答:彼らが一緒に居たという意味にしかすぎません。イエスがまだ生きていたときも、復活したときも使徒たちは一緒にいました。それ以上深読みする理由はありません。
使徒たちはイエスが復活したあと、ガリラヤに行きました。刑死する前、イエスはペンテコステの時までエルサレムにとどまるように命じました。それはイエスの刑死から十日目でした。ペンテコステの後、使徒たちはエルサレムにとどまっていたと書かれています。
これらの者たちにはまた,ご自分が苦しみを経たのちに生きていることを多くの確かな証拠によって示し+,四十日にわたって彼らに現われ,また神の王国に関する事柄を話されました(使徒1:3新世界訳)。
結局は迫害があって新規のクリスチャン会衆の回心者はユダヤの全地、サマリア、そしてユダヤ人ののディアスボラスへ散らされました。
その日,エルサレムにあった会衆に対して激しい迫害+が起こった。使徒たちのほかは皆,ユダヤ,サマリア地方全域に散らされた(使徒8:1新世界訳)。
使徒らはどのくらい長く、エルサレムにとどまっていたかは分かりません。迫害の嵐の中で使徒たちが長期間、一緒にいたと考えるべきではありません。当時は現代のように電子的な連絡手段はありません。離れた土地に手紙が届くには何週間も、何か月もかかりました。ですからほかの土地に行ってイエス・キリストについて人々に教えようとしました。ときには何人かの使徒は散らされた人たちを訪ねました。そしてほとんどの使徒が暴徒に襲われて死にました。
(それぞれの使徒の足跡は省略します)
使徒の教え
問:教えは使徒によって伝えられたんですね。何らかの中央集権的な組織に依存したからではありませんか。
答:使徒はイエスが地上で伝道していた期間はイエスと共に生きていました。その使徒以外には初めてイエスについて教えられる人はいましたか。使徒らは何を教えていましたか。イエス・キリストとその復活を簡素な福音で人々に教えていました。
実に,恐れがすべての魂に臨むようになり,多くの異兆やしるしが使徒たちを通して起こりはじめたのである(使徒2:43新世界訳)。
彼らが民を教え,イエスに起きた死人の中からの復活についてはっきり告げ知らせているので,いらだっていた(使徒4:2新世界訳)。
また,使徒たちは大いなる力をもって主イエスの復活に関する証しを続けた。そして,過分のご親切が彼らすべての上に豊かにあった(使徒4:33新世界訳)。
使徒は弟子の上に手を置いた
問:例えば使徒6:6と8:17では使徒が弟子の上に手を置いてます。これは中央集権的な組織があったからではありませんか。
そして彼らを使徒たちの前に立たせると,[使徒たち]は祈ってから彼らの上に手を置いた(使徒6:6新世界訳)
それからふたりが彼らの上に手を置いてゆくと+,彼らは聖霊を受けるようになった(使徒8:17新世界訳)。
答:これは中央集権の権威者の存在を示してません。使徒以外の人たちも弟子の上に手を置きました。この動作があったからといっても中央集権の権威者の存在を示しているわけではありません。
アナニアはサウルの上に手を置きました。
そこでアナニアは出かけて行ってその家の中に入り,彼の上に手を置いてこう言った。「サウロ,兄弟よ,来る道であなたに現われた主,イエスが,わたしを遣わして,あなたが視力を取り戻し,聖霊で満たされるようにされました」(使徒9:17新世界訳)。
アンティオケアの兄弟らはパウロとバルナバの上に手を置きました。
そこで彼ら(アンティオケアの兄弟ら)は断食をして祈り,手をその(パウロとバルナバ)上に置いて+から[二人]を行かせた(使徒13:3新世界訳)。
パウロはエフェソの弟子の上に手を置きました。
そして,パウロが彼らの上に手を置くと+,聖霊が彼らに臨み,彼らは[いろいろな]国語で話したり預言したりするようになった(使徒19:6新世界訳)。
パウロはポプリオの父の上に手を置きました。
しかし,たまたまポプリオの父が,熱と赤痢に苦しんで寝ていた。そこでパウロは彼のもとに行って祈り,手をその上に置いて彼をいやした(使徒28:8新世界訳)。
使徒はほかの人たちを伝道に送り出した
問:使徒は使徒以外の人を伝道のために他の土地に送り出しています。これは何らかの中央集権的な組織があったからではありませんですか。その例が使徒8:14です。
サマリアが神の言葉を受け入れたことを聞くと,エルサレムにいる使徒たちはペテロとヨハネを彼らのもとに派遣した(使徒8:14新世界訳)。
答:もっとも明解な意味はこうです。使徒はそれを聞いて使徒の中から選び出し、使徒ペテロとヨハネを送り出したのです。何らかの中央集権的な組織があったとは示してません。
同じく、パウロとバルナバはアンティオケアの会衆から送り出されています(使徒13:1-3)。パウロが送り出された地はエルサレムからではなく、アンティオケアです。
「使徒」のまとめ
使徒行伝には十分な信頼を置かなければなりませんが、そこには何らかの中央集権的な組織は認められません。使徒行伝では明らかに会衆は独自の道を歩みました(アンティオキア、エルサレム、ガラテア、コリント等)。誰からもその権限を与えられることを考慮せずに、伝道さえ、独自に行れました(パウロ、バルナバ、ヨハネ、マルコ、シラス、ステファノ、ピリボなど)。
使徒行伝の中には「統治体」や中央集権の観念は全く見られません。それなのに教えに反して、勝手に「二人か三人の証人」を考えています。
・パウロは、ダマスコで「イエスのみ名を呼び求める」者たちを捕縛する権限を与えてくれるようにと手紙を書いて大祭司に頼みました(使徒9:1-2)。パウロは宣教活動の権限を与えてくれるようにとは一切、誰にも頼んでません(エルサレムからも)。
・パウロは一度もエルサレムを権威のある都市だとは考えてません。・・パウロはアンティオケアから伝道旅行に送り出されました。エルサレムからではありません。
・弟子たちが初めてクリスチャンと呼ばれたのはアンティオケアアであり、エルサレムではありません(使徒11:26)。
・パウロは、回心の後で「異邦人の使徒」としての権限を持つことをエルサレムの兄弟たちと連絡することはありませんでした(使徒9:15、ローマ11:13)。回心の後、パウロがエルサレムに上ったのは回心から三年後でした。
・キリストはパウロに対して、エルサレムに上れとは一度も言ってません。パウロがやってきたエルサレムに戻るよりも、「異邦人、王たちに」キリストのみ名を運ぶためにパウロを選びました(使徒9:15)。
・キリストはアナニスを通して、ダマスコからパウロに指示をしました。明らかに、アナニアはエルサレムを根城にする中心的な「統治体」の一員ではありませんでした(使徒9:11-17、22:5-16)。
・パウロは三年にわたり初めての伝道旅行を実行しました(使徒9:25、9:26、ガラデア1:18)。エルサレムの誰か、あるいはどこかの誰かから伝道する権限を与えてもらえるように頼んでません。その三年が経過した後でも一度たりともその権限を与えてくれるように頼んではいません。
・選ばれた人をアンティオケアに派遣する旨の使徒行伝15章の決定は@使徒からも、A年長者たちからも、B全教会からも出されていません(使徒15:22)。一握りの「男たち」の級が決めたのではなく、大勢の人たち、即ち全教会が決めたものです。「全教会」が全会一致で決定したことを示すための決議のようなものです。
・使徒行伝15章の会議と手紙はとても特異な問題を処理するためだけの一度きりの出来事でした。
・新訳聖書では、同様の会議はこのほかには記述されていません。使徒、年長者、全会衆が同様の手紙を送ったとは記述されてません。
・反面、使徒パウロは多くの会衆に多数の手紙を送りました。その際、いかなる中央集権的な組織からその権限を与えてくれるように頼んでません。
ですから、一世紀には中央集権的な組織(統治体)は存在していません。エルサレムにも、アンティオキアにも、その他のどこの地にも存在しません。
ものみの塔は一世紀からのモデルに則って「統治体」を有していると主張しています。それは聖書からは証明されません。
新約聖書には「統治体」(またはそれを暗示する中央集権的な組織)の語は見つかりません。中央集権のモデルは見つかりません。
当時、何らかの中央集権的な組織(即ち、統治体)が存在するとしたら、それは自己推薦の組織、利己的な組織です。その者の主張を聞いたり、それに従属したり、それに奉仕したり、それを恐れてはなりません。
注意
ここまで書いたアイデアが十分に働きますように。エホバの証人の家族が理解できる範囲だけに絞ってもよろしいでしょう。
忘れてはなりません:エホバの証人の家族を議論で打ち負かすのではなく、説得することが大事です。